2011年11月19日

一章 "思想"

このブログを製作した記念として、改めて少しずつ自分の思想を書き記し
同時に整理していこうと思う。


"まずは自己紹介"などと固苦しいことは抜きにして
順不同で記していこうと思う。


小中高とおよそ世間様からは離れた生活、趣向、人生を歩んできた自分にも座右の銘はあった。


和魂洋才という言葉である。


お世辞で言っても決して健全な少年時代を送ったとは言えないが、節度はあったつもりだ。

中学の時、掃除の時間に女からほうきを力づくで奪った男を懲らしめて、女に返してやった。

その後その女に告白され、三年間の中学時代はほとんどその女と付き合っていた。

そうは言っても世間というものはその人物の全体を見たりはしない、外見と噂で判断するものだ。

自分は不良という意識が無くても周りが各々の価値観で不良と決めつけてしまえば
その人間は"自分は不良なのか"と思うことはごく自然なことと思える。

言い訳ではあるがそのような一面があることも事実ではないかと思える。

反抗して己の意見を貫くこと、他人と喧嘩すること、危険なことをすること。


これは若気の至りというものである。


この健康な男児の振る舞いをどう評価し、溢れる力の照準を個人個人に適した
分野に合わせてやるのが大人の仕事であると思える。

学生時代はまともに学業に励んだことなどほとんどなかったが
"和魂洋才"という言葉だけはなぜか忘れずに心の片隅にいつもいた。

決して愛国心を埋め込められたことも無く、日本人と言うことを強く意識したこともなかったが
都会で育ったゆえに、現代の歪んでアンバランスな景観や右に習えばそれで良しとした人々の考え方(これは日本古来のものと言えるが)がとにかく理解できなかった。

ほかにも言い出したらきりがないが以前も書いたがプラスチックなどの合成品も嫌いだった。

そのような合成品に囲まれた社会で育ってみると昔の日本というものがものすごく美しく見えた。




しかしこの時代に生まれてしまった"自分"という存在の在り処を示すものは
何処にも無いと思われた。

そんな無念を一蹴してくれたのが"和魂洋才"それだった。

"日本の伝統的な精神と西洋の学問を身につけること"

恐らく人生の中でこれほど腑に落ちたと感じることは今後一切ないであろう思う。

若く、感受性豊かな年頃にこれほど的を得た言葉はあまりに衝撃的であった。

この言葉は魔法のように応用が効いた。

何も思わず、言わずに受け入れることが出来なかった固い頭に
日本古来の"ものを活かす"という言葉が自然と受け入れられるようになった。

そこで一安心したのか、本格的に知識欲にとりこまれたのは二十歳からである。

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